ひとは歴史の上に立つ

先日読んで感動したエントリーがあったので、メモがてら残しておきます。
Tumblrにも引用したけど、しつこくw

そして今のアタシが、ひと、歴史ってものについて思っていることを記しておく。

2009-07-01 – 父来たる2009 – 日々是魚を蹴る
定年近い父親からの話を息子さん(たぶん)がまとめたもの。
親、という人生の先輩の生きながら学んできた事柄がシンプルにまとめられていて、とても読みやすい。

人生に疲れていない、世界を悲観していない大人の、自分自身の言葉。
教訓のようだけれど、きちんと理由づけされているからか、押しつけがましくない。
たぶん、これが完璧というわけでもない。
でも、歴史や自分の経験を踏まえた上での自分自身の考え、言葉の持っている力ってものを感じた。先人は凄いなー。
歴史の上、更には自然の上にひとは立っているんだなー。

歴史って嫌いではないんだけど、学校の授業だと年号覚えろだの何のってひたすらに暗記が多いのが現状。
何も考えずに暗記!っていう行為が苦手だったから、授業の歴史ってやつは好きになれなかった。
あと偉人は偉い部分だけしか紹介されないしね。それじゃあ、親近感も湧かないし。

でも、嫌いではないんだよね。教科書とか資料集を眺めるのは好き。
こういう出来事には、こんな人間模様が裏にあって・・・っていうのが好き。
年号自体には大きな意味ないんだもの。
1192年だから、鎌倉幕府を作ったわけじゃないんだよ。様々な人との関わりややりとり、流れがあって、結果的に西暦でいうところの1192年に起こしただけで。
だから、年号丸暗記は好きになれない。

人類史の中で、年号がある程度の象徴的意味合いを持たされることもわかるし、
年号を覚えていなければ、何年前だったかとかすぐにわからないし、
年号ってもんが全く無意味、とは思わないけど。
でも、丸暗記してテストする意味はないと思う。

んと話は少しズレていってしまった。

何しろ、ひととひととの数えきれない繋がりが世界にはある。
家族と、友人と、恋人と・・・そして全く知らない誰かと。
その中で、交流だとか、反発だとか、共感だとか、好きだの、嫌いだの・・・もう色んなものが混ざり合って。
結果的に世界にありとあらゆる何事かを起こしていて。
それで、今、この世界があって、地球があって、日本があって・・・アタシがいる。

すべては、積み重ねで。
これまで生きてきた、そして今生きているひとたちの人間模様がこの世界をこの世界たらしめている。

そう考えると何とも不思議。
自分、ちっぽけ。
でも、天文学的数字の上に、今ここにいる。

アタシの起こした何か、これから起こす何か、は、世界をすぐに変えたりはしないだろう。
でも、それもいつしか積み重なって、何かの土台にあるかもしれない。
前述の親父さんの言葉だって、歴史的に見たら凄く小さいことなんだろう。
でも、確実に誰かのこころに残って、そしてその誰かがまた自身の言葉で伝えていく。
一体、こうした微かな繋がりは、どこまで続いていくんだ。
ひとがひとである限り、きっと続いていくでしょう。

で、だから何だ。
わからない。
言い表せないけれど、壮大な何か、でもたしかに存在する、安直に言えば、歴史、というものに自分も加わっているんだな、と。
そりゃ、歴史の教科書には載らないかもしれないけれど、だから何だ。
載らなかったひとだって、たしかに存在していて、だから今がある。
自分のちっぽけさを悲観する必要なんてない。
ちっぽけさを気にするよりも、どれだけのひとに伝えられるか、を気にするべきかも。
そしたら自然と積もっていくさ。

ずっと心に残っている言葉がある。

ずっと過去の引用の積み重ね

―坂本龍一
ASCII.jp:ミスチルを目指して終わるな──坂本龍一かく語りき

アタシは気づいたときから、“オリジナル”ってものに凄く憧れ、むしろ劣等感のようなものを抱いてた。
らしさ、ってなんなんだろう。
オリジナル、ってどうしたら生まれるのか。
考えても、オリジナリティなんてわからなくて、自分には才能なんてないって思ってた。

世の中にオリジナルというものは存在しない。誰もが先人の考えに影響されている。自分というのは空っぽなのだ。

と先のブログで、親父さんが言っている。
他にも過去の偉人とされるひとたちの名言の中にもあった気がする。
そう、完全オリジナルなんて存在しない。
あるとすれば、自然だけかも。

そしたらちょっと楽になった。

自分の中にいろんな過去を積み重ねて、そしてアウトプットしていけばいいんだ。
なぁんだ、そっか、そっか!という気分。
だから今は思いっきりインプットしていきたいんだよね。
今まで中にナイうちから出そう出そうとしていたから。
いろんな引き出しにいっぱい素敵なものを詰め込んで。

それから、いつか誰かの先人になろう。
そして先人方、ありがとう。

Webサービスの棲み分けを考える

最近、調子に乗って今更ーなWebサービスなどにもユーザー登録してみたりした。
で、もうごちゃごちゃしている、と。

とくに!ブックマークというか、お気に入りを突っ込んでおく場所的な。

サイトのブックマークは基本delicious。
ステキ系イメージはDropular。
かわゆい動物写真やら、名言はTumblr。

なんとなく分けてるけど…既に画像系、DropularとTumblrでごちゃってる。。。

Droplarはマイページ?で、突っ込んだのオシャレ~に一覧表示してくれるので、自分が好きな雰囲気のものをざっと確認できて良いんだよね。
ついでに好きなものしか表示してないから、キモチ癒されるー♪

Tumblrは、シリアスなものから、面白いものまで入れちゃってるので、自分でもなんとなく見にくい。。。
ただ、Dropularに比べると、思考するものが多いのかな。

なので。
Dropularは右脳的なもの。
Tumblrは左脳的なもの。
って感じで。

あんまりガッチリ分けてしまうと、自分の場合、あとあと自分で首絞めて苦しくなっちゃうので、ざっくりとね。

とりあえず…登録するツールを全部ひとまとめにしてしまいたい。。
tomblooは入れてるけど。
ほかに設定されているサービスあんま使ってねーんすよ、という。
ほぼTumblrだけのためのプラグインと化している。。。
うーむ。
やっぱり、そこらへんが今一番のネックだなー。

ネットのサービスやらを使う上で、「面倒」って一度でも思ってしまうと継続した利用に対してかなりハードル上がっちゃうよね。
そこまでして利用するメリットだとか魅力がない限りは。

探せばちょっとしたツールとかティップスで大抵の「面倒」は打破できるんだけど、一般のひとはそこまでしない。
「ネットって便利便利っていうけど、意外と不便なのね~」くらいの感想を持って去る。
あとはもう全然よくわからないまま、よくわかんないなーって思うだけ。

アタシはWebな仕事してるけど、たぶん思考とか能力的には一般とまだまだnearly equalラインなので、「わっかんね!」と思って幽霊ユーザーになってるサービスも結構ある。
ツールとかで何とか出来るって分かり始めたのも最近の話で。

で、一般まで普及させるのってやっぱ簡単じゃないよねーと改めて思った。