すんません不出来で

母にフラれた旨を伝えた。

母はアタシが喜々としてプレゼント買ったりしてたのを知っているので、
「ちゃんと渡せたの」と訊かれて、致し方なく。

あー恥ずかしい。

ひとに自分の努力している姿を見られるのはそもそも苦手だ。
努力するのは悪いコトではないとは思うのだが、どうしてもひとに見られるのはカッコ悪い気がしてしまって。
親にもあんまり見られたくない。
色恋沙汰なんてなおのこと。

友だちや先輩にペラペラと?話せるようになったのも最近だし。
なんか、自分がテンパったりしてる姿をやっぱり見られたくないんだよね。
今だって色々端折って隠して「そこまで没頭してないけどね~」みたいな顔してたりする。
あ゛ー無理!辛い!頑張れないー!って弱気発言連発出来るのはほんの一部だけ。

まぁ今回は家で煮物とか作ったりしてたし、面倒だから話しちゃっておいたんだけど。

アタシはあんまりそういう話題を話さないようにしていたし、表に出さないようにしていたから、
母は心なしか喜んでいるようだった。
人様に「うちの娘、男の影もなくて~」なんて話していたくらいなので、多少心配していたんだろう。
そのうち、お見合い写真とか用意されちまうんぢゃないかと思う。

母は若かりし頃、男には困らなかったタイプだったようで、昔の彼氏の話をしてきたりした。
だからこそ、アタシを見ていて、心配というか、疑問なんじゃなかろうか。
なんで男のひとりも出来ないのだ、と。

一応、アタシもそれなりに恋してきたし、頑張ってきたと思うけど、まぁ結果には結び付かないっつか。
えぇ、自分でもビックリの残念話ばかり積もってしまってる。
笑える武勇伝もあるけどさ。
まぁ、そんな現状を打破すべく、やっぱりまた頑張るんだけど、また敗退しちまったぜ。

母よ、いつか安心させてあげられるだけのイイひとを掴まえてみせるよー!
ま、いつかね~

キレた!!

髪切ってきた。
っていっても元々長くないからちょっとサッパリしただけだけど。

もう哀しいやら悔しいやら切ないやらで、散々振り回されてしまったけど、
アタシの時間をずっと握られているのはとても癪なので、
自分の中で付き合い方の方向性を定めた。

プライベートはやり直し。
仕事?は、割り切ってちゃんとやる。

それはアイツのためでもひとのためでなくて自分のため。

だって、何にも得られていないもの、まだ。
それでリタイヤとかちょー厭!

こっから取り戻す。

覚悟しておれ、このやろー。

今度はアタシが利用してやるから。
並んで歩いてくれない男など踏み台だぁー。

ついでにプライベートに現抜かしたらぶっ飛ばす。
むしろメンバー引き抜いてぶっ潰すぐらいの勢いで。

居ないと困るって絶対吐かせてやる。

で利用価値なくなったら、そんときに思いっきりバッサリ縁を切るぜ。

そんなわけで、キレた女は最強だと証明してやる。
何でもやってやろーぢゃん。
やればいーんだろ、やってやればー!
悪いけど、アタシ大体何でもこなせるから!
万能だし!

ついでに大器晩成だから!
アイツの目は節穴だって証明してやる!
見る目なかったのね~♪って嘲笑ってやる!

や、訂正。
たぶんその時には興味なんてないからどうでもいいや。

幸福論

本当のしあわせを さがしたときに
愛し愛されたいと考えるよになりました。

そ、出来ればgive&takeがいいよね。
でも、やっぱ女は愛されてなんぼな気がしたよ。
愛されている女は強い。
自信を持てるし、だから輝けるし、その輝きにひとも集まる、そしてますます愛される。
銀座のホステスみたいだな。

異性だとかの愛だけでなく、友達とかも含め。
理屈なんて関係なくて、底知れぬ力が湧く。
たぶん、そんなもの。

男の愛は光。
友の愛は水。

あと、家族は土ってところか。

なにしろ、
光と水、どっちがあり過ぎてもなさ過ぎても、腐ったり、枯れ足りする。
土壌がしっかりしていなければ、根も張れないし、ぐらつく。

バランス、か。

個人的にはバランスとか苦手。
偏るのは得意。
ひとつのことにしか集中できないんだよなぁ。

不器用。
つか愛されるってなんだよ。
ぐらぐらの状態で愛されたいって願うのは傲慢?

ま、とか何とか云って、結局エロースってことだわな。
自分のことしか考えられていない。
自己満足のための自己欺瞞。
愛もクソもないぜ。

て、あ、そもそも論になってきちゃった。
人間だからある程度はそこの部分はしょーがないって思ってるんだが。
綺麗事ばっかりじゃないからね。

愛されて 優しくなれて
その優しさ故に愛されて
君と僕が
そんなメビウスの輪の上を笑いながら
寄り添って歩けたなら

だからきっと愛してくれないひととは一緒に行けない。
無理に一緒に歩いていてもきっと自分が嫌いになる。
だからしょーがない。

君が其処に生きているという真実だけで 幸福なのです。

って面と向かって言えるくらいに駄々っ広い心を持てたら、それは本当に幸福だ。

サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

これから先のこと

好きなひとにフラれた。

それだけ。
よくある話。

なのにどうしてこうも動揺してしまうかな。
食欲わかない。
それでも出勤出来てる自分に万歳!

社会人ってこうして歳くってくのかしらね。

フラれた理由というようなものを羅列されたとき、
あんまりにも「そのとおり!」と思ったから、なんか反論出来なかったよ。
今までもそうで、でも少しはマシになってるんじゃないかなって思ってたから、すごく痛かった。
あ、やっぱりダメなままだったみたい、と。

フラれた、という事実もとても今アタシを凹ませているけれど、
それと共に、自分の向きあわなきゃいけないダメなところが露呈してしまって、
それが実は一番辛いかもしれない。

だってそれって今までずっと生きてきた中でそうなってしまった部分で、
今すぐにどうしようもない部分で、
でもどうにかしなきゃいけない部分で、
どうにかしたい部分で、
それで、たぶん、それが解決するまでアタシは恋愛とか向いてないままなんだと思う。

けど、やっぱどうしたらいいかよくわかんないなぁ。

大半のひとには、「隙がない」って言われて、
好きな人には、「自分がない」って言われる。

ないわけじゃない。
出さないだけで、たぶん。

僕は透明人間さ きっと透けてしまう

結局、いつも行き着く先が
「自信がない」
ってところなんだよね。

自信がないから、好意を持たれても「なんで?!」って思って引いちゃうし、
自信がないから、好きなひとからはアタシは魅力的に見えない。

知ってるよ、もういい加減。
それなりに生きてきたもの。
わかってる。
わかってるからこそ悔しくて哀しい。

自分が完全なる無能だなんて思ってない。
意外と出来ること多いよ。
けど、だから何だっていうんだ。
やれば出来るのは当たり前で、やって出来たからって自信になんてならない。

今まで、環境的に、認めてもらうっていう場が少なすぎたのかもしれない。
自分でいうのも何だけど、どっちかっつったら優等生で生きてきて、「お前なら出来て当たり前」みたいな目で見られてた時間は長い。
「よくできました」って手放しで褒められたのはもう十何年前の話だろうか。

まわりの、特に大人たちの求める自分像みたいのを実践するのは結構簡単で、そうした自分であることで大人は喜んでくれる。
それで居場所を確保してたアタシにとって、それこそ不良みたいに自分の個を打ち出して認めてほしいって足掻いているひとは、なんだかとても生き方が下手くそに見えてた。
相手の思惑通りに動いていれば、すんなり認めてもらえるのにって。
でも、今思えば、そうやって目先の利益で行動して、自分というものを確立してこなかった人間は、そりゃ薄っぺらくもなるわな、と。

大学入って、それぞれが自分の進路を考え始める時、たぶん今までで一番激しくその壁にぶち当たった。
うわー自分何したいんだろ。

やっと必死に考えて、デザインの分野に興味をもった。
絵を描いたり、レイアウトするのは好きで、
あとセンスがすっごいイイ!ってわけではないけど、逆に大半のひとに嫌われないものを作る自信はあった、そうやって生きてきたからね。
でも、新卒でデザイナーってなると、専門だとか美大限定だったりする。
で、最終的に、経験不問のWeb制作会社に入った。
今ここ。

で、やっぱりまだ薄っぺらなままだよ。
会社に入ってから、HTMLとかCSSの勉強はさせてもらった。
でも、それだけじゃやってけないっていうことも知った。
だから、少しずつだけど、JSとかASの勉強も始めた。
システムのことも勉強しなきゃなって思ってる。

だからね、だからね、まだ発展途上なんだよ。
まだ、自信をもてる状況なんかじゃないんだよ。
まだまだ迷ってて、彷徨い歩いてて、歩いてく方向を見出せない。
ほんとに最近やっと、あー自分でも出来ることあるかもしれないな、って思えてきたところなんだ。

それでさ、
その段階でさ、
甘い、というか、まだまだだって云われちゃったら、
そうですね、そうですよ、って言うほかないじゃん。

長い目で見てよ もっと
長い目で見てよね

雨のち晴れのち 虹が見たいなら
まだ見守ってて

でも、そんな時間ないよ、
って言われたら、アタシには引きとめておくことなんて出来ないよ。

振り向いて!
お願いだから待って!
なんてどうして言えるの。

だから今は

またあなたに逢えるのを楽しみに待って
さようなら

好きなひとの好きなところ

好きなひとがいる、で、そのひとのどこが好きなの?という質問。
野暮な感じがするなーと最近思っている。

好きなひとのことだ、好きなところは挙げ出せば沢山ある。
在り来たりなところから、周りが聞いたら辟易するようなところまで。

気持ちを説明するということが大層苦手なこともあって、心模様の説明をせねばならぬ事態はなかなかどうして恥ずかしいやら、難しいやら。
ただ、むしろ、言葉なんて陳腐な道具で言い表せてしまうくらいの気持ちなら要らないかな、と。

本当のありがとうはありがとうじゃ足りないんだ

みたいな?
自分の表現力のなさへの言い訳も込められているのは否定できないが。

あと、ココが好きだ!って言いきってしまうとちょっと怖いような気がする。

ひとは変わる。良くも悪くも。
現時点での好きなところを挙げ出したところで、その部分は変わってしまうかもしれないし、自分の気持ちのほうが変わるかもしれないし。

それにたとえば、
「君の色白なところが好きだ」と言われたとする。
そっかー色が白いところが好きなのね、ずっと色白でいなくちゃ!とやたら美白命!!になるかもしれない。
でも、日焼けして小麦色になったら、嫌われちゃうかといったらそうでもないだろうし。

「あなたは優しいから好き」と言われたとする。
そんなこと言われたら、好かれ続けるために変に無理してでも優しいひとであり続けなければいけないのだろうか。

変わってしまうかもしれない部分を挙げ出して、惚れたはれたと云うのは、結局相手の負担になる気がするのだ。
かといって全部が好き!って言う輩も信用できない。
ひとの全部なんて、一体誰が分かるというのだ。
自分自身にだってわからない部分もあるのに。

もし、心からずっと愛せる相手の何かがあるとするのなら、
そのひとの通念、信念であったり、思想だとか、もう死ぬまで変えるに変えられない部分だろうかな。

もう、あとは本能の赴くままに。
本能的な部分、生理的な部分は、きっと理性ではどうにも変えられないと思うので。

好きなひとのどこが好きですか。